【駒場祭の歴史】公式マスコットの歴史

前回までの「駒場祭の歴史」で今までの66回の駒場祭と時代背景について振り返りました。

駒場祭といえば駒場祭公式マスコットである「こまっけろ」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。今では子どもからお年寄りまでさまざまな人に愛されるこまっけろ。

「駒場祭の歴史」最終回である今回はそんなこまっけろをはじめとする公式マスコットの歴史について紹介していきたいと思います。

こまっけろの前にも公式マスコットがいた!?

駒場祭の歴史をたどっていくと最初にマスコットが登場したのは第53回(2002年)のとき。その名も「こまぽん」!  写真はこんな感じです。

こまぽん

登場から5年間ほど駒場祭のマスコットとして活躍していたそうです。(あまりキャラクターとして定着しなかったみたいですが…(^_^;))頭のいちょうがチャームポイントだとか。それにしてもこの「こまぽん」、資料がほとんど残っておらず今となっては謎の多い幻のマスコットです。

まだ他にもマスコットが??

駒場祭のパンフレットをさかのぼると「こまぽん」とはまた別のマスコットが登場してきます。

エコマちゃん

環境にやさしい駒場祭にするためにごみ分別などのプロジェクト「エコプロジェクト」が第48回(1997年)から始まりました。これに関するマスコットが駒場祭の公式パンフレットに第57回(2006年)から出てきます。名前は「エコマちゃん」。このマスコットは誕生から約5年間毎年駒場祭公式パンフレットに登場したり、廃材を再利用して作った「エコマちゃん」の展示をしたりするなど“エコな駒場祭”の印象をより強くしたマスコットでした。

以上で見てきたように駒場祭には今までにも様々なキャラクターがいました。そして第58回(2007年)、いよいよあの駒場祭公式マスコットキャラクターが誕生します。

こまっけろ誕生

第58回(2007年)についに現在でも駒場祭公式マスコットとして活躍する「こまっけろ」が登場します。

こまっけろプロフィール(2016年現在)

名前:こまっけろ

誕生日:11月25日

身長:170cm

体重:67kg

出身:駒場池

悩み:毎年1kgずつ太ること

好きな食べ物:ぎんなん

得意なこと:かくれんぼ

苦手なこと:ジャンプ(かえるなのに)

趣味:散歩

口癖:けろけろ。

もともと駒場池に住んでいて、ある日帽子をかぶったら日本語がわかるようになったそうです。しっぽは大人と子どもの間である大学生の姿を表しています。プロフィールによれば毎年1㎏体重が大きくなるようで……( ゚Д゚) 今でも成長を続けているんですね!

はじめて登場した第58回の駒場祭公式パンフレットでは一番初めのページにさりげなく載っているだけですが、この年からは毎回、駒場祭公式パンフレットにこまっけろがいます。また、第60回からはこまっけろのぬいぐるみが販売されるなど、こまっけろが駒場祭のマスコットとして定着していったことが分かります。

今年のこまっけろ

今年の第67回駒場祭でもこまっけろにたくさん触れあうことができます! キャンパス内でこまっけろに会えるだけでなく、他にもかくれこまっけろラリーやグッズ販売などこまっけろファンはもちろん、誰でも楽しむことができます。また、今年の駒場祭テーマ「めしあがれ。」から、こまっけろにちなんだレシピもあります。

さらに今年は「こまっけろ絵描き歌」もでき、より一層親しみやすくなったと思います!

駒場祭当日はこまっけろにも目を向けてキャンパスをまわるのもおもしろいかもしれませんね(*^-^*)

今回で全4回に渡ってお送りした駒場祭の歴史は終わりになります。いかがでしたでしょうか? 毎年開かれる駒場祭にも年ごとにさまざまな物語が込められていることが分かりました。

ちょっぴり駒場祭の歴史にも詳しくなった上で今年の駒場祭もぜひ楽しんでくださいね(^-^)/

委員一同、ご来場をお待ちしております!!

出典
『環 第六十回駒場祭記念冊子』第60期駒場祭委員会(2009年11月21日発行)
第58回~67回駒場祭公式パンフレット

【駒場祭の歴史】東大闘争以降の駒場祭

今回で第3回を迎える「駒場祭の歴史」。前回は1980年代前半までの、東大闘争としての駒場祭やその後の変質について触れました。そこで今回は1980年代半ば以降の駒場祭について、歴代のテーマをピックアップして振り返っていきます! どのような経緯を経て、現在のような駒場祭に至ったのでしょうか?

◎駒場祭の変質(続き)

第34回(1983年)
「ヒト ヒト コマバサイ ヒト」
この1983年を境に、駒場祭のテーマは大きく変わりました。以前の政治色の強いテーマとは異なり、ユニークさ・斬新さを追求したテーマとなりました。
この年には初の試みとして、クラス・サークル対抗歌合戦が行われ大盛況になるなど、これまで「対大学」に注がれていたエネルギーは、「対クラス・サークル」のエネルギーとして昇華させていきました。これまで大学に対して抱いた対抗心を、他のクラス・サークルに転化しただけあって、大熱戦になったようですね!

第41回(1990年)
「駒場に来た 東大生を見た」
この年はちょうどバブル経済の絶頂期であり、広告費だけで750万円の収入を得た駒場祭委員会は大いに潤ったようです。(うらやましい限りです。)この年の駒場祭は今上天皇の大嘗祭と日程が重なったことを受け、過激派の動向が心配されたようですが、当日は特に影響はありませんでした。
夜にボヤ騒ぎが頻発し消防署が現場検証を行うなどの問題は発生しましたが、日中には大きな混乱もなく、東大闘争は終焉を迎えたことを印象付ける回になりました。

◎混沌とした時代の中で

第45回(1994年)
「いましかできないことが いまあるはず」
この時期はバブル経済が崩壊し、「失われた10年」と表現される日本経済停滞期を迎えました。この時期の駒場祭のテーマは、そんな先の見えない混沌とした未来に対する学生の不安や、それを打破する志向を映したものになりました。
これまで広告費と各企画の割当金のみで運営されていた駒場祭委員会でしたが、この第45回駒場祭から割当金を廃止し新入生全員から運営費を一律徴収する方針に変更されました。このことからもバブル経済崩壊による経済事情の悪化が駒場祭にまで影響を与えていたことがうかがえますね。

第48回(1997年)
「前途多難な羅針盤」
この年のテーマも、継続する閉塞感を反映したテーマとなりました。この年は本格的なミスコンがスタートし、また駒場祭における環境対策もスタートするなど、多くの新たな試みが行われたことが印象的な回です。時代の閉塞感を打破しようとする学生たちの思いによってミスコンなども始まったのでしょうか…? そうなるとコンテストを見る目が変わってきますね!

◎現在、そして未来へ

第60回(2009年)
「クロノグラフ」
この年は教養学部設立60周年・駒場祭60回記念と節目の年に当たり、歴史を主題とした企画が多く行われました。また近年の駒場祭でご好評いただいているスタンプラリー企画もこの年に始まりました!
ちなみに「クロノグラフ」とはストップウォッチ機能を備えた、懐中時計・腕時計のことであり、教養学部設立60周年・駒場祭60回記念を迎えるまでに経った長い月日を連想させるテーマとなっています。

第66回(2015年)
「祭は旅だ。」
昨年2015年に行われた駒場祭は来場者数が13万人を突破するなど、大盛況となりました。この時期になると、駒場祭公式Facebookページ・駒場祭公式Twitterなども開設されるなど、広告媒体も時代の変化に対応して多様化していきました。(今年もあります。ぜひご覧ください!)

様々な困難を経て開催された創成期。学生による政治活動が盛んにおこなわれた東大闘争の時代。経済の潮流に翻弄された時代。今後の駒場祭はどのような色を帯びてくるようになるのでしょうか…? これからの駒場祭に乞うご期待ください!

さて今回は1980年代半ば以降の駒場祭の変遷についてピックアップしてお伝えしました。次回は「駒場祭の歴史」最終回。次回は駒場祭公式マスコットを取り扱います。ご期待ください。

出典
『環 第六十回駒場祭記念冊子』第60期駒場祭委員会(2009年11月21日発行)
第66回駒場祭公式ウェブサイト

【駒場祭の歴史】学生運動と駒場祭

前回は第1回駒場祭についてお伝えしました! 戦後、1980年代初期まで、駒場祭は「政治運動の実践の場」となりました。そのことは、毎年のテーマにも色濃く反映されています。

今回は、そんな駒場祭前期の模様を、歴代のテーマをいくつかピックアップして振り返っていきます!

 

◎揺れ動く戦後日本の中で…

第8回(1957年)

「平和と民主主義を守ろう 創造的文化の建設と発展のために 原子戦争準備反対」

この第8回からテーマが設定されるようになりました。この当時は冷戦のまっただ中であり、各地で相次いで原水爆実験が行われました。当時の内閣総理大臣岸信介が日米安保条約の改定に乗り出すなど、戦後日本の安全保障の在り方が大きな議論の的となり始めた時期でした。(-_-)ウーム

第15回(1964年)

「平和観念の死滅を救え!! 押し返せ反動化 創り出そう未来を 反戦意識の新たなる胎動を!」

東京オリンピックが開催された年ですね。高度経済成長のもたらす光と影について、激しい批判を与えたのがこの年の駒場祭だったようです。『平和観念の死滅』という過激な文言には驚かされますね…。また、民青系全学連という学生団体が再結成されるなど、後に激しさを増す学生運動の契機として、重要な年でした。

 

当時の学生は、「政治」を自分たちに身近な問題として捉えて様々な行動を起こしており、その発信の場が駒場祭だったのですね。そのことがテーマにもよく現れています。

◎東大闘争の中で…

第18回(1967年)

テーマ不明

学部側による企画への過干渉が問題となり、直前まで開催が危ぶまれました。また、当日には、2000人に及ぶ学生らが900番教室という大教室を始めとする複数の教室を占拠しました Σ(゚皿゚)ガビーン

第19回(1968年)

テーマ不明

医学部生の事実誤認退学処分に端を発した東大闘争の影響を受け、駒場キャンパスでも7月からストライキが行われていました。そのため、準備が大幅に遅れるとともに、大学側の協力は一切受けることはできない中での開催でした。大学闘争を扱った企画が多く、サークル企画等はほとんど行われなかったようです。この駒場祭の3ヶ月後に、機動隊の安田講堂突入が実行されるなど、東大闘争まっただ中での学園祭でした。( `_´)

第20回(1969年)

「団結を! 連帯を! 統一の旗の下に」

この年の1月には安田講堂への機動隊の突入が実行され、五月祭は中止に追い込まれました。そのような中で、駒場祭では企画数が大幅に増加するなど、まさに「駒場の再建」を示すものとして、大いに注目を集めました。

 

1960年代後半という学生運動真っ盛りの時代。駒場祭もそんな時代の流れをもろに受けていたんですねΣ(・口・)

 

◎駒場祭の変質

第26回(1975年)

「広場へ行こう こんな時こそ こんな危機にこそ駒場のエネルギーを感じたい 駒場の広場は皆が話し合う 皆が理解し手を結び合う 駒場の英知と創意とエネルギーの総結集だ! 壁を知らない青年の可能性だ! サァ広場へ」

まず、テーマがものすごく長いですね…。当時の学生はこれを覚えられたのでしょうか…!?(・・;)

それはともかくとして、この頃になると、企画数350のうちの半数程度は喫茶店やディスコなどが占めるようになったようです。少しずつ駒場祭が変化していることが見て取れますね。

 

第33回(1982年)

「平和・真実・自由 ーきみのために ぼくのためにー」

この年のテーマは、押し付けがましいとして、当時は多くの批判を浴びてしまったようです(・_・ 個人的には好きですが(笑)当時の東大生の肌には合わなかったのでしょうかね…。

これまでは、民青主導で運営されていた駒場祭委員会でしたが、この頃を境に、委員のほとんどがノンセクト(どの政党・党派にも属さないこと)の一般学生となりました。この後現在に至るまで、駒場祭のあり方は大きく変わっていくことになります。その模様は、次回の記事でお届けします! ぜひご覧ください。

出典

『環 第六十回駒場祭記念冊子』第60期駒場祭委員会(2009年11月21日発行)

 

 

 

【駒場祭の歴史】「駒場祭」の起源は一高の紀念祭

毎年11月に東京大学駒場キャンパスで開催される「駒場祭」は今年で67回目を迎えます🎉

今回は、当委員会が主催する駒場祭の歴史に関する展示企画と連動して、駒場祭の歴史について特集します! この展示企画は、東京大学駒場キャンパスにある駒場図書館で11月15日(火)-12月5日(月)に行う予定です。

実はこの「駒場祭」の起源は、旧制第一高等学校(通称「一高」)の「紀念祭」にあります。そして「紀念祭」の始まりは、1891年3月1日に一高寄宿寮の開寮1周年を祝って開かれた茶話会にまでさかのぼることができるそうですΣ(・ω・ノ)ノ!

今回は、一高における「紀念祭」や第1回駒場祭の開催にまつわる歴史について触れてみたいと思います✨

一高は東京大学教養学部前期課程の前身

一高をはじめとする旧制高校は戦前の高等教育機関であり、その教育内容は現在の大学1・2年生を対象とする教養課程に相当し、旧制高校の卒業生はその後の帝国大学への入学がほぼ保証されていたそうです。

戦後高等教育機関の拡充が求められ、1949年から旧制高校は学制改革によって大学の教養課程となりました。そして、もともと一高があった駒場には東京大学の1・2年生が通うことになったのです。

紀念祭の目玉企画「寮デコ」

駒場祭の起源となった紀念祭ですが、1891年から1949年にわたってほぼ毎年2月頃に開催されていました。

特に注目を集めたのは、寮の各部屋に装飾を施した「寮デコ」で、政治や社会を風刺した企画が目玉企画となっていたようです(゜o゜)

しかし戦後、この寮デコが重大な事件へと発展します。

1949年2月の第60回紀念祭での寮デコ「桃太郎の赤鬼島征伐」が占領軍への誹謗であるとGHQの民間情報教育局から注意を受け、教授の辞職問題へとつながりました。

この事件は、第1回駒場祭の開催にも大きな影響を与えます。

駒場キャンパス内にある「駒場寮跡」です。
駒場キャンパス内にある「駒場寮跡」です。

始めは開催を断念

1949年、戦後の学制改革により東京大学の教養学部が誕生します。

その年の11月に、学生全員の総意を表明する組織「学友会」が発足しました。

この学友会の創設を呼びかけたのが小倉寛太郎さんであり、第1回駒場祭の委員長も務めます。

(なんと山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』のモデルとなった方です…!)

学友会では、紀念祭と同じ2月に教養学部独自のお祭りを行うことが議論されましたが、教養学部の反対にあい、その年の開催は断念されました(´;ω;`)

前年の事件を踏まえ、寮デコをはじめとする企画の「表現の自由」が問題視されたためでした。

厳重警備の対象となった第1回駒場祭

しかし1950年3月に一高が廃止され新制東京大学へと完全に移行すると、学園祭の話が再び持ち上がり、ついにその年の11月に駒場祭を開催することになりました(*´▽`*)

(2月は寒すぎる、待ちきれないとの声があり、五月祭から半年たった11月が開催目標になったといいます。ちなみに「駒場祭」という名前になったのもこの年だそうです。)

しかし、最大の課題であった表現の自由については教養学部と学生との交渉が繰り返されました。自治会が発行した『東大教養学部新聞』にも当時の様子が掲載されています。

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交渉の結果、教養学部側が事前に寮デコを見て回り、問題があれば学生と協議するという形でまとまったそうです。

そして1950年11月25日に第1回駒場祭は開催されました🎉🎉

学内には、多数の私服警察官や憲兵が潜り込み、寮デコの政治的な展示は点検が済んでから飾りつけ、駒場祭が終了するとすぐに取り外されたそうです。

当時の占領下での様子が伺えますね…

こうして始まった駒場祭ですが、その後67年間はどのような歴史をたどったのでしょうか。

次回もお楽しみに! 

出典

『環 第六十回駒場祭記念冊子』第60期駒場祭委員会(2009年11月21日発行)

『教養学部新聞』学友会総務部自治会(1950年11月20日発行)

【駒場祭の歴史】67年間の旅がスタートします!

今年で67回目を迎える駒場祭。

 

その始まりは1950年までさかのぼります。近年では来場者数が10万人以上となる駒場祭ですが、1950年当時はどのような学園祭だったのでしょうか?

 

そこで今年の駒場祭特集ページでは、駒場祭の歴史をテーマにした投稿をしていこうと思います!

 

これから数回に分け、駒場祭のルーツから駒場祭公式マスコット「こまっけろ」の前身となった謎のキャラクターの存在まで、様々な視点から駒場祭の軌跡をたどります。

乞うご期待!!